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  • 執筆者の写真伊藤史織

私の翻訳人生(翻訳者になるまでストーリー1)

更新日:7月29日

1年以上前から書きたい、書こうと思いつつ、重い腰を上げられなかったブログ。

いよいよ書いてみたくなったのだけど(元々書くのは好き)、最初はやはり翻訳人生をスタートさせた頃を振り返った方がいいのか…?

そんなことをしてたら、いつ現在に追いつくのやらなどと思いながら、まあお気楽に始めてみよう。


はじめまして、英日字幕・出版翻訳者の伊藤史織です。


そもそもは通訳になりたかったのです。きっかけは、小学校の遠足で行った京都国際会館。ここでは国際的な会議が行われるため(世界水フォーラムが開催された時には通訳ボランティアをしましたよ)、同時通訳ブースがあって、私は小学生ながら国際会議の同時通訳に憧れたのでした。


しかし中学校入学後の英語の成績が思わしくなく、通訳の夢はすっかりさっぱり諦めていました。が、その夢とは全く関係なく、さらにはろくに英語もできないのにアメリカに高校留学し、無事(?)英語を話せるようになって夢を再燃させます(省きましたが、苦労の末に話せるようになりました)。


帰国後も日本の高校には戻らずにアメリカのフリースクールに編入・卒業(日本での通信課程)。「通訳の夢を追うには大卒資格があった方が良さそうだ」と思いつき、独学で外国語大学を受験します。確か実際に、当時の求人では大卒資格が条件になっている場合が多かったと思います。


志望校選びの条件は、帰国子女ではないが海外校卒業の資格で受験できること、英語を集中的に学べること、自宅から通えること(これは母からの条件)。


日本の学校での教育は中学~高校1年までしか受けておらず、しかも英語に関しても留学で会話できるようになったレベル。さらには受験を思い立ったは秋。私の無謀な性格が顕著に表れています・・・・・・!


受験勉強ではまず文法書をイチからノートにまとめました(書き写すだけでは無駄な作業になるので要注意)。すると、アメリカでの生活を通して身に付けた英語が、文法としてスルスル頭の中で整理できました。後は、「大学受験ならではのコツ」もあるはずだと予備校の冬期講習だけ受け(受験予定科目には古文もあったのでそれも・・・・・・)、志望校の過去問を解いて過ごしました。


教員だった母は「短大も受からないだろう」と思ってたようですが、受験結果は短大も4年制も全て合格。私学だったので受験科目が少なかったことも大きいですが、本人がやる気になった時のパワーはすごいものです。


無事に入学した第1志望校は、関西外国語大学。IESという、英語を学ぶというより英語で様々なことを学ぶ集中コースに入り、めいっぱい遊んで学ぶ愉快な友人たちにも恵まれました。


翻訳話に全然たどりつけないまま、今日はここまで…


*フリースクールの詳しいお話は知求翻訳館サイト掲載の連載コラム「フリースクールのススメ」をご覧ください^^

(下記ページにリンクがあります)



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