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執筆者の写真伊藤史織

私の翻訳人生(翻訳者になるまでストーリー2)

更新日:7月30日

大学では、めいっぱい勉強しつつも、めいっぱい遊びましたが、ちゃんと(?)通訳を目指す志は忘れずに、確か大学2年時から通訳学校にも通い始めました。京都にあるサイマルアカデミーの通訳コースで、夜に確か2時間×週2回。半年間が1クールです。


まずは入学テスト。ディクテーションをしました。誰もが受講できるわけではなく、そのテストを合格しての入学だったのですが……力の無さを実感しましたね。


授業では、課題となるニュースなどの音声を使い、実践形式でがんがん受講生が当てられ、即座に訳していきます。記憶が曖昧ですが、英語音声を語句か節くらいの細かな単位で切りながら、同時通訳に近い形で訳していたと思います。


これがもう本当に大変でした。もちろん初級のペーペーコースからのスタートでしたが、難しいのなんの……。かなり心が折れました。授業後にその授業の音声をもらえるので、授業外でも繰り返し聞いて自主練に励みましたが、簡単に上達はしません。それでも何とか半年を終え、次のコースには無事上がれたのでした。


この時の、講師の方のお話で心に残っているのが、「通訳だけでは暮らせない、皆さん通訳も翻訳もどちらもこなされる」というものです。プロの翻訳者になってからは、この言葉がいっそう重く感じられます。


さてさて、1つ上の通訳コースには上がれましたが、ここで私の無鉄砲さが出てしまいます。母子2人きりの家庭で育った私は(しかも非常に変わった母親だった。詳しくはコラム「フリースクールのススメ」にて……)、絵に描いたような家族に憧れ、今の夫と結婚を決めて妊娠もしたのです。


当時は「学生だからって結婚・出産しちゃいけないの?」という反骨心みたいなものもありました。大学と相談のうえ、休学せずに「自宅学習+メールによるレポート提出」で単位を認めてもらい、第1子を出産しました。


これ、単位認定の判断は教授に任せるとの大学の話だったので、各教授に私が直接相談したんですが、外国人教授は快くOKしてくれて、日本人教授は戸惑っておられましたね……。産後、ハワイ人教授は「赤ちゃん連れておいでよー」と言うので、講義に連れていって皆の前で娘を紹介してもらいました。


通訳コースに話を戻しましょう。妊娠中は通訳コースに通うのが難しくなり、代わりに週1回の翻訳コースにゆっくり通ってみることにしました(確か半年)。翻訳初挑戦です。


当然翻訳も難しくて、添削の赤ペンだらけでしたが、「じっくり言語に取り組むのはなかなか楽しいものだな」という発見がありました。この時は単発で受けただけで、出産後は週1回通うのも難しく継続はしませんでしたが、今思えば、これが翻訳人生のきっかけになったのでした。


ちなみに出産は大学3年後期でした。義母や友人に娘を見てもらいながら講義に出席し、周りに支えていただいたおかげで無事4年間で卒業しました。


さらにちなみに、大学の例のIESコースは英語に特化したコースだったのですが(外大自体が特化してたけど)、逆に日本語は苦手な帰国子女なんて学生もいたりして、個性豊かで楽しい(そして忙しい)コースでした。


さらには私の仲間たちは、そのコースの中でも喫煙所をきっかけにつるむようになった、愉快な仲間たちだったのでした。日々、飲み明かし、クラブで踊り、そして勉強に打ち込む。エネルギッシュに友人たちと過ごした、かけがえのない日々でした(途中で母親にもなるんですがね)。


今回はちょびっと翻訳も出てきましたねー。

またしてもコラム「フリースクールのススメ」について言及しているので、リンクの掲載先を……

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